やわらかな侵蝕 3

 ゾロが筋トレを終え、一息吐いた頃には夜も深まり、空には高く月が浮かんでいた。タオルで汗を拭いながら甲板を見下ろすと人の気配も消えていて、少し肌寒くも感じる風が静かな船上を冷やしている。
 だが、頼んでいた酒の配達はまだ来ていない。
 サンジは手が空いたらと言っていたが、ゾロが夕飯を食べているうちに洗い物は大方片付いていたのだから、そう遅くないうちに姿を現すものだと思っていた。
 ダイニングには明かりが灯っている。サンジはまだそこにいるようだ。こんな遅くまですることがあるのかと少しむっとしたゾロは展望室を降り、荒立ちそうな足音を抑えながらダイニングへ向かった。別に放っておかれたことに腹を立てたわけではない。酒が飲みたかったのだ。

 乱暴に扉を開くと、ちょこんとテーブルに着いた狸型トナカイが真ん丸い目を見開いてゾロを見ていた。
「び、びっくりした、なんだゾロか」
「…悪ィ、いたのかチョッパー」
 飛び込んだ勢いのまま「酒はどうした」とサンジに文句を言ってやろうと思っていたのだが、辺りを見渡すもその姿は見つからず、ぶつけどころを失った怒気を誤魔化すように頭を掻く。ゾロの立てた騒音に身構えかけていたチョッパーもその正体が馴染みの姿であったことに安堵したのか、手にしていたマグカップに口を付けほっと息を吐いた。
「うん、サンジにホットミルク入れて貰ったんだ」
「そうか……コックは?」
「サンジは風呂だって」
 どうやらゾロの酒はチョッパーのホットミルクよりも風呂に入るよりも後回しにされていたらしい。
 そもそも初めからサンジが酒を配達する筋合いもないのだが、一度わかったと請け負った以上、約束は約束だ。風呂から出たら届けるつもりだったのかもしれないが、サンジが現れなかった事実に無性に腹が立ってならない。
「何か急ぎの用事なのか?」
「いや…酒を貰いに来ただけだ」
「あ。それならさっきサンジが用意してたぞ。多分キッチンにあるんじゃないか?」
 言われてキッチンを覗いて見ると、酒瓶が一つ置かれていた。さっそく栓を開けて口を付ける。程よく疲労した身体にアルコールが染み渡り、深い息が漏れた。
「ぞ、ゾロ、もしかしかして酒が欲しくて急いで来たのか…?それってアルコール中毒…」
「いやそういうわけじゃねェよ。ただ喉が渇いてただけだ」
 その様子が余程余裕がないように見えたのか、小さな医者が恐る恐るといった調子でゾロに病気の疑いをかけてくる。余計な心配をさせてしまったかと努めて穏やかに返したが、己の精神の乱れを指摘されたことを恥じ、腹の虫まで行き届くように再びぐびりと酒を煽った。酒は好きだが中毒では断じて無い。
「でも、依存症って自分では気付かないもんなんだよ。むしろ自覚するのが大変で、治療の第一歩なんだけど…最近、酒を飲んでないときにイライラしたり、手が震えたりしないか?」
「あのな……いいかチョッパー。おれァ剣士だ。手が震えて太刀筋を乱すなんてことはあっちゃならねェし、断じてならねェ。そんなやわな精神はしてねェ。だろ?」
 イライラしたり、の言葉に一瞬ギクリとしたが、思いがけない医者の問診をはぐらかすように真剣な眼差しで問い返すと、ゾロのタフネス精神をよくよく知るチョッパーも納得したのか妙な疑いは引っ込められたのだが、酒をぐいぐい煽りながら壁沿いのソファに腰を降ろすゾロに振り向き、キリリとした口調で説教を始めた。
「でも飲みすぎはよくねェぞ。空きっ腹に酒だけ入れるのも体に良くねェって、サンジも言ってるだろ。それに、瓶に直接口付けて飲むなって」
「お前な、コックと同じようなこと言うな」
 医者としてゾロの身体を気遣ってくれているのだろうが、サンジが度々口にする小言がチョッパーの口から出てきたことが妙におかしくて、そして良く見たらその口元に薄っすら白い髭を蓄えていたのでゾロは思わず笑ってしまった。
「ゾロ~…おれは真剣に言ってるんだぞ」
 それが侮られていると受け取ったのか、チョッパーは頬を膨らませてゾロを睨みつけてくるのだが、同じようなセリフを吐かれ同じように凄まれても、そのぬいぐるみじみた容姿ではサンジのような小憎たらしい迫力があるわけもなく。微笑ましさすら感じて自然と笑みが零れただけで、チョッパーの医者の腕を、恐らくこの船で一番世話をかけているであろうゾロが侮っているわけも当然無い。酒は飲んでも飲まれないし、怪我は寝れば治る、ついでに瓶から直接飲んだ方が楽なのだからそんなに心配する必要はないのだが、この純粋な弟分は少し心配性の気があるのでサンジの無駄な小言も真に受けてしまうのだろう。
「あァ、わかってる。だがおめェはコックに変な影響受けんな。口付けて飲むことは医者の領分じゃねェだろ」
「だって、サンジってたまに結構怖ェけど、ほんとはすごく優しいだろ。ゾロの事心配して言ってるんだと思うから、たまにはちゃんと躾けられてやれよ、ゾロ」
「この野郎、おれはペットか。残念ながらおれァ簡単に鎖に繋がれるような獣じゃねェんだよ」
 夕食時のサンジの軽口を真似するチョッパーに、やっぱコックに悪影響を受けすぎだと思いながら目の前の獣より獣らしい顔をして見せると、ゾロ怖ェ、と愉快そうにはしゃぐ独特な笑い声が上がった。そんな無邪気な笑顔は、時折サンジが見せる笑顔と少し似ていると思った。

 ゾロとチョッパーがそんなじゃれ合いに興じていると、程なくして静かに天井扉が開く音がした。サンジが風呂から戻ってきたのだ。
「……なんだ、自分で取りに来てたのか」
 梯子を降りてきた白いシャツ姿のサンジがソファに腰掛けるゾロを認めると、キッチンとゾロの手元を見比べて少しだけ気まずそうな顔をした。そういえば、とここにに来たのはチョッパーと雑談するためではなかったことを思い出す。腹の虫を鎮めていた酒は既に残り少なくなっている。
「サンジ、おかえり」
「まだ起きてたのかチョッパー。体あったまったか?」
「うん、サンジありがとう。じゃ、おれもう寝るから、二人ともあんまり夜更かしするなよ」
「おう、寝る前にちゃんと歯ァ磨けよ。あとここ、白ヒゲになってるぜ」
 サンジが自らの口元を指し示すと、ぴょんと席を立ったチョッパーは慌てて口元を拭い照れくさそうにはにかんでみせる。つられたようにサンジも柔らかい笑みを浮かべ、欠伸交じりに「おやすみ」を告げダイニングを出て行くチョッパーに挨拶を返しながらその後姿を見送った。
 ゾロも挨拶代わりに片手を挙げ、扉が閉まる音を聞き届けると残り僅かな酒で喉を湿らせる。
 当初の目的であった酒は既に大半がゾロの胃の中にある。チョッパーとのまったりとしたひと時のおかげで文句の言葉も同様に腹の中に引っ込んでしまった今、サンジにどう難癖つけてやろうか考えていると、テーブルに残されたマグカップを回収したサンジが申し訳なさそうに声をかけてきた。
「遅くなって悪かったな。忘れてたわけじゃねェんだが…」
「言い訳はいらねェよ」
 しおらしくも素直に謝るサンジの言葉を遮るように発された声は思いの外低く響き、カップを洗いに向かいかけた背中がびくりと震えゾロを振り返る。
「言い訳っつーか…おれは手が空いたらって言ったろ?…手が空かなかったんだよ」
「チョッパーのホットミルクより、てめェの風呂よりおれの優先順位が低かったってことだろ」
「そうじゃねェ、それはだから……っつーか、ゾロお前、」
「言い訳はいらねェっつっただろ。酒は貰ったからもう用はねェよ」
 残りの酒を一気に煽り、空になった瓶をテーブルに置き捨てる。歯切れ悪く口を開くサンジを無視してダイニングを出ようとすると、慌てて駆け寄ってきたサンジにぐいと腕を掴んで引き止められた。
「ちょっと待てって!お前、怒ってんのか?」
「あ?別に怒ってねェよ。忘れてたわけじゃねェんだろ。酒も貰った。怒る理由がねェ」
 元々サンジが届ける筋合いは無いとゾロだってわかっていた。目的の酒も飲み干した。憂さ晴らしの難癖もサンジの素直な謝罪によって大義名分を失った。だから本当に怒る理由などあるわけがないのだ。だが、確かにゾロは苛立っていて、それがサンジに伝わってしまっている。
「でも、お前いつもは飲みたくなったら勝手に取りに来るのに、わざわざ届けろって言ったってことはその、他になんか、あったんじゃねェのかよ…」
 ぎゅうと腕を掴む手に力が込められ、語気を弱めたサンジの困ったような、それでいて何かを期待しているような顔がゾロを覗き込む。風呂で温まったせいなのか、サンジの手はうっすらと汗ばみ、シャツを一枚着ただけの肌蹴た胸元はほんのり赤みを帯びている。既にドライヤーで乾かしたのであろうさらりと揺れた髪からは昨夜と同じシャンプーの匂いが香った。
 サンジの言う通り、酒を持って来させようとした理由は他にあった。夕食中やってやれないこともないと考えことを試してみるつもりだったのだ。実際になにがどう出来るかはともかく、朝のトレーニング中に頭をもたげた想像くらいのことはしてみるつもりだった。だがサンジは来なかった。
 これではまるでやりたいタイミングでやる相手が現れなかったことに腹を立てたようであまりにもマヌケが過ぎるが、苛立ちの理由は多分、そうではない。
「だから、風呂入ってからって思って…色々準備もあるしよ、支度してたらチョッパーが寝付けねェっつーから、先にミルクだけ入れて」
「…もういい、わかった」
 縋りつくようなサンジの手を振りほどき、早く酒を届けに行かなかったことを怒っていると思っているサンジに向き直ると、ゾロは頭に昇った熱を逃がすように大袈裟に溜息を吐いた。
 結局サンジが来なかった言い訳を聞いてしまったが、その理由は理解できた。
 抱かれる気満々でいたサンジはアホだし、そんなアホに振り回されているゾロはもっとアホなのかもしれない。
「つーかお前は何抱かれる気満々で準備してんだよ」
 呆れたように言うと、不安げにゾロを見つめていたサンジの頬にカッと熱が上る。
「あ!?そりゃお前、あの状況で誘われたらそういうアレだと思うじゃねェかよ…お前、メシ食いながら人のことじろじろ見てたし…おれのこと考えてたとか言うしよぉ…」
「アホか。おれは酒持って来いとしか言ってねェだろ」
 本当は概ねサンジの言う通りなのだが、サンジの言動に振り回された仕返しとばかりにその可能性を否定してやると、その表情は面白いほどくるくる変わる。不安げに揺れていた瞳は一際大きく見開かれ、次に鋭く睨め付けたかと思うと、自惚れた勘違いを恥じるように左右に彷徨いへちょりと眉を下げ、最終的には怒り出した。
「あーッ畜生!まんまと騙されたぜクソ野郎!だったらさっさと持ってっちまえば良かったぜ、クソッ…!」
 頭をかきむしりながらガラ悪く吐き捨てたサンジはそれでもまだ居た堪れないのか、ゾロの腕を雑に放り捨てると荒々しい足取りで向かったソファにどかりと腰を降ろし、怒りやら何やらで茹った顔を両手で覆ってしまった。
「じゃあもう用がねェならさっさと行けよ……夜更かししねェでさっさと寝ろ」
 片手でしっしと追い払う仕草をして見せる。
「いや、気が変わった」
 サンジに近付くと拗ねたように口を尖らせ、ジロリと視線だけをゾロに向けた。
「…あんだよ」
「お前ちょっと服脱いでみろ」
「はッ!?な、なんで」
 今度はガバリと顔を上げ、慌てふためいて目の前に立つゾロを見上げてくる。その腕はなぜか身体を隠すように自分を抱き締めていて、それが抱かれる気満々だった男のする仕草かとは思うが、面白いのでそのまま話を進めることにする。
「考えてみたんだが」
「ない頭で」
「うるせェ黙れ。昨日はてめェの口でいけたんだからまァ、やってやれねェこともねェかも知れねェだろ。だがいざ事に及ぼうとして野郎の身体見て萎えちまったらしょうがねェ。だからいけるかどうか試してやるからとりあえず見せてみろ」
 ゾロの提案に口をパクパクさせているサンジは驚いているのか呆れているのか、はたまた積極的な姿勢を見せたことに喜んでいるのか、ゾロには判断がつかない。
「てめェから始めたことだ。今更嫌だとか言わねェよな?」
「う……そうなんだが、そうじゃねェっつーか……」
 気忙しく視線を彷徨わせたサンジはしばらく黙り込んでいたが、ゾロの最もらしい言い分をようやく飲み下したのか、「わかった」と頷き、シャツのボタンに手をかけたところではたとゾロを見た。
「灯り消してくんねェ…?」
「アホ言え。暗くしたら見えねェだろ」
「でもこーゆーことする時って普通暗くするだろ…」
「普通じゃねェんだ、諦めろ」
 キッパリと言い切るゾロにサンジは何かもごもごと言葉にならない言葉を返してきたが、「嫌ならいい、おれは寝る」と促してやると「別にこのくらい、今更隠すもんでもねェよな」と自らに言い聞かせるように呟きながら胸元のボタンを外し始めた。
 ゾロに従いおとなしくなったサンジを仁王立ちで見下ろし、のろのろと勿体ぶるような指先を焦れったく眺めていると、元々風呂上りだったこともあってラフに着崩されていたシャツは呆気なく開かれ、するりと肩を滑り落ちる。最後に袖から腕を抜くと上半身の全てが露になり、脱いだシャツをソファに放ったサンジはふてぶてしく両腕を広げて見せた。
「オラッどうだ、気の済むまでじっくり見やがれ!」
 先ほどまでの恥じらいはどこへやら、実に堂々とした見せ付けっぷりだったが、これでは少し色気に欠ける。
「まだ上脱いだだけだろ。下も脱げ」
「はッ!?」
 サンジはそんなこと考えてもいなかったとでも言わんばかりに素っ頓狂な声を上げると、さっと引っ込めた腕で自分の体を抱き締め直し背中を丸めて隠してしまった。
「いやそれはちょっと…」
「上だけじゃ意味ねェだろ。あと隠すな」
 サンジの腕を掴み上げ無理矢理それを引き剥がす。急に身を乗り出してきたゾロにサンジは文句の一つも言いたげな顔をして見せたが、ここまで来たら観念したのか抵抗する様子はなかった。それでも間近でじっくり観察されるのはさすがに恥ずかしいのか、相変わらず紅潮したままの顔はぱっと横に逸らされてしまったが、今は顔は良い。
 明るい光の元で見るサンジの肌は、やはり顔や腕と同じく白く、汗をかいたのかしっとりと湿っている。細いと思っていた身体のラインも脱がせてみれば無駄の無い筋肉で引き締まっており、服の上から受けた印象よりずっと逞しい身体をしている。呼吸に合わせて弾む胸には男には無意味な乳首が当たり前のように付いているのだが、先端をツンと主張させているそれは、白い肌に薄桃色がやけに映えて見えた。
「おめェ、全体的に色薄いな」
「うるせェ、感想を述べるな、恥ずかしいだろうが…!」
 どこかで聞き覚えのあるようなサンジの文句は無視して、シャツを着ていたときからチラチラと覗いていた胸板の谷間をなぞってみると、ヒッと小さく声を上げサンジの身体がビクリと跳ねる。
「ちょ、バカ、なに触ってんだよ!」
「あ?今更何言ってんだ、さっきから腕掴んでンだろ」
「いやだから、ていうか腕も放せよ!」
 今更ながらの抗議に抑えたままだった片腕の拘束を解いてやる。解放された腕でサンジはまた身体を隠そうとしたがその無意味さに気付いたのか、置き場に悩むように彷徨わせた後だらりと力なく横にたらした。
 ゾロの両手も自由になったので折角だから脇腹を掴んでみると、慌てて飛んできたサンジの腕に掴み上げられ必死な形相で「お触り禁止だ!まだ!」と訴えてきた。確かにゾロの提案では見せてみろとしか言っていないのだからこれでは約束を違えてしまう。このまましばらく上半身を弄り回してサンジの反応を楽しんでみたい気もしたが、この場は退いて続きを促すことにした。本番はここからなのだ。
「だったら早く下も脱げ」
「や、やっぱ脱がなきゃだめか…?」
 往生際悪くおずおずと顔色を伺ってくるサンジに正面で仁王立ちするゾロが無言の圧力をかける。一切の譲歩を許さない様子を見て取り、サンジは渋々バックルに手をかけ出したが、ベルトを外しスラックスのボタンに手をかけたところでまた手が止まってしまった。
「あのよ、ゾロ…」
「なんだ」
「お前もしかして、こういうプレイが好きなの…?」
「あァ!?」
「だってこんなんもう、羞恥プレイじゃねェかよ…!も、もう始まってんのかこれ!?」
「まだなんも始まってねェよ」
「でもこんな…一方的にじろじろ見られてたら、おれもうなんか、顔から火が出そうでお前の顔見れねェよ…」
 弱弱しく吐き捨てるとサンジは羞恥の限界だったのか、足を抱えて完全に身体を丸めてしまった。
 別にそういうプレイが好きなつもりはないのだが、恥じらうサンジを面白がり、少なからず興味を擽られていたので好きの部類に入ってしまうのかもしれない。自分でも気付かなかった新たなる世界の扉が開かれたような気分だ。いや、今正に開いている真っ最中なのかもしれない。
「プレイのつもりはねェっつーか…プレイができるかどうか試してみるって話だったろ。それ聞いてどうすんだよ、お前はおれがそういうのが好きだって言えば続けんのか?」
 そんな様子を見てしまうと多少なりともサンジが可哀想になってきたゾロだったが、そもそも先に抱かれたいなどと言い出したのはサンジの方で、いざそうなった時にはこの程度で恥ずかしいなどと言ってる場合じゃないのではないかとも思うのだが。
 一先ず出方を伺ってみるとサンジはチラリと膝に埋めていた顔を上げ、
「そういうのに興奮するってんなら、考えなくもねェ…」
 と意外にも肯定的な返事をしてきたので、今は全身でその先を拒絶しているはずのサンジに逆にゾロが困惑させられてしまった。
 それではまるでゾロが「好きだ」と言いさえすれば、サンジはゾロの意のままに動いてしまうのではないかと考えたが、さすがのサンジとて無理なものは無理だと拒否するだろうことは想像に難くない。だが今はゾロの要求にしおらく従うイレギュラーサンジで、ましてや「考えなくもねェ」段階なのだから、ゾロが「興奮するからやってくれ」と一言告げればサンジは羞恥に耐えながらも全てを脱ぎ捨てその肢体を晒すのだ。
 それにはいささか下半身も興味を示したのだが、嘘をついてまでサンジに無理を強いる程ゾロは鬼にはなれない。なんだかんだ長く生活を共にするものには情も湧くもので、ちょっとは相手を尊重する気持ちだって芽生えてくる。
 好奇心と良心の狭間で揺れるゾロが黙っていると、不安げな瞳のサンジと目が合ったのでここは本当のところを話す事にした。
「別におれァそういうプレイに興奮するわけじゃねェよ」
「じゃもう、こんなんはやめて良いよな?」
 ゾロの返答を受けるや否や安堵の色を浮かべたサンジは抱えていた足を伸ばし、シャツを手繰るといそいそと袖を通し始めた。
「試すってんなら、もうちょっと普通によ…」
「だが今わりとやってやれねェこともねェっつー気にはなってる」
「えっ」
 それがよっぱど意外だったのか、サンジは片腕だけ袖を通したシャツを中途半端に羽織って動きを止めると真ん丸い目でゾロを見上げてくる。
「ま、マジか……じゃ、このまま羞恥プレイ続行すんのか…?」
「だからそういう趣味はねェよ。別に今すぐやろうってわけでもねェんだ、てめェが無理っつーならまァ、服は着て良いが…しょうがねェな。そのままお前、チンコだけ出してみろ」
「…お前それ…逆になんかマニアックなことになってねェか…?」
「重要なとこだろ。それとも全部脱いだほうがマシか?」
「いや…全部脱いだらどの道出すことになるし…」
「だろ。それにてめェのが先におれのモン見てんじゃねェか、見るどころか咥え込んで、チン毛緑とか言いやがって。どうせてめェは金なんだろうが」
「あッ!?ああっ、そりゃそーだよ!でも緑よりは面白くねェだろうが!金なんてわりとメジャーだろ!」
「面白さとか珍しさ競ってんじゃねェだろ!四の五の言ってねェでオラ、さっさと出せコラ」
「わ、わかった、わかった出す、出すから!引き千切ろうとすんなバカ!」
 珍妙な押し問答に発展してしまった勢い任せにサンジのスラックスの縁を掴むと、慌ててその手を掴み返されこれまた勢い任せにサンジもその案を受け入れたので、ゾロも再び腕を組み仁王立ちの姿勢に戻る。
「千切るつもりはねェよ、結果的に千切れる可能性はあるがな」
「それが駄目だっつってんだこのクソ脳筋野郎が!…自分でやるからてめェは黙って見てろ…!」
 サンジは声を荒げたせいで乱れた呼吸を一度整え直すと、半ばヤケクソ気味にスラックスのボタンを外し、続いて躊躇いなくファスナーを引き降ろした。
 スラックスの隙間に覗くサンジの下着はピンク色で、英字の入ったゴム部分で辛うじて男物とわかるが、下着は大体黒一択のゾロは絶対選ばないセンスに思わず食い入るように見つめてしまった。しかもその縁からチラリと金糸が見えかけていたので面積もギリギリのようにしか見えない。
「どんなセンスだそれ」
「お前がおれのセンスに口を出そうとするな」
「でも小せェだろそれ」
「ローライズなんだよ、隠れるモンはちゃんと隠れてんだろうが」
 妙なところに食いついたゾロにサンジは呆れたようにスラックスの前を開き、その下着を見せてくる。確かにサンジの身体には違和感無く馴染んで見えたので言われた通りそれ以上口を挟まないでおいた。
 結局脱ぐと言う状況は変わっていないのだが、その事実に気づいているのか気付いていないのか、いずれにせよサンジがやる気になったので良かったのだろう。妙な緊張も解けたのかさっきまでの追い詰められた様子もなく、自分から下着を見せてくる余裕を取り戻していたので、はっきり本音を伝えておいてよかったと思う。あれはあれで嗜虐心を擽られたので少し惜しいことをしたような気もしたが、それはまた別の機会に楽しめば良い。
 サンジが下着に手をかけると、やはりそこは最後の砦なのか躊躇った様子を見せチラリとゾロを見上げたので、ゾロもその視線に応えた。
「…お前に言われたら癪だから先に言っておくけどよ…おれもう、ちょっと勃ってるから…」
「まだなんもしてねェだろ」
「だってよ…お前に見られながら脱いでんだぞ…」
「んだよ、てめェの方が興奮してんじゃねェか。そういうのが趣味なのか」
「ちっげーよバカ!好きなやつに見られながら脱いだら、そりゃ多少は興奮しちまうだろうが…」
「そういうもんか?」
「そういうもんだろ…」
 わかった、とゾロが答えると、サンジは本当にわかってんのか?と言いたげだったが、一度深く息を吐くと覚悟を決めたように一気に下着を引き降ろした。
 露になったサンジの秘所は事前の宣言通り既に勃ち上がっており、自己申告ではちょっとと言っていたがかなり張り詰めているように見える。大きさこそゾロに比べ控えめであったが、サンジの身体に似つかわしくスラリと形良く、赤く熱を帯びて静かに脈打っている。髪と同じ細い金糸が根元に生えているが、薄い色と毛質のせいかあまり目立たない。
 全部脱ぐよりはマシとは言えサンジは下を向いてしまい、前髪に隠された瞳はギュッ瞑られているのだろう。髪の隙間真っ赤に染まった耳を覗かせ、下着にかかる手も少し震えている。
 中途半端に着直したシャツは頼りなく腕を包むのみで、弾む胸も乳首も露になったままそこにある。
 全身に血が巡るのを感じた。
 恥じらいながらも興奮に染まった身体を見せ付けてくるサンジの姿を舐めるように見回すと、同じ男の身体なのに、今更隠すことも無い見慣れたはずのそれが、今は全てが扇情的に映り、ゾロは思わず息を飲んでいた。
「…お、おい…もう、いいか?…おれちょっと、やべェんだけど……」
 無言の時間に堪えかねたのか、先に口を開いたのはサンジだった。
「おい…ゾロ…なんとか言えよ…」
「やべェな……」
「だから、やべェんだって」
「お前ちょっと…エロ過ぎるぞ」
「え、え?…マジ?」
 パッとサンジが顔を起こす気配にゾロもつられて視線を上げる。羞恥に赤く染め上げられた顔に、一際大きく見開かれた瞳は涙が滲んだようにその蒼をキラキラと輝かせ、ゾロの言葉を待っている。
「お前今、すげェエロいことになってんぞ」
 サンジが欲している言葉などゾロにはわからないが、率直な感想を口にするとサンジの瞳は大きく揺れ、ころころと色を変え続けた分かりやすいその表情に動揺と歓喜の色が浮かんでいることがはっきりと見て取れた。
「ほ、ほんとか…?なら、」
「勝手に触るぞ」
「えっちょ、ダメ」
 サンジの制止を無視して中心を握り込むと、ビクリと跳ねたそれは急速に膨れ上がっていく。
 ゾロは不思議な生き物の持つ不思議なそれを掌に乗せ、感触を確かめるように柔らかく指で形をなぞっていくと、先端からぽつぽつと蜜が溢れ出てくるのでそれを親指に塗りたくるようにして先端に刺激を与え始めた。サンジは慌ててその動きを止めようとゾロの手を握るが、その力は弱弱しく、たいした邪魔にもならない。
「っんとに、やめろ、ゾロ…ッ」
 サンジがゾロにしたように、空いた手で根元の金糸をさらりと撫でるとサンジの腹がヒクヒクと震える。徐々に上に向って手を滑らせ、肌の感触と凹凸を確かめるように腹筋の溝を撫で進み、大胸筋に添えられた突起を柔らかく摘んでみると引けていた腰がビクリと跳ね上がった。
「んッ…あ、だめ、マジでイっちまうから…!」
 飾りでしかないと思っていた乳首もサンジのものは完全に性感帯のようだ。どこを触っても面白いほどに敏感な反応を見せる身体は、与えられる快楽の波から逃れるためか、はたまた更なる刺激を貪欲に求めているのか、誘うように身を捩らせる様に堪らず噛み付きたい衝動に駆られ、考えるより早く僧帽筋に歯を立てていた。
「イッ…!」
 鋭い刺激にサンジが短く悲鳴を上げる。ゾロを止めようとしていたサンジの手はいつからかゾロの肩口にしがみ付き、ゾロが噛み付くと反射的に爪を立てるように強く指先が食い込んだ。
 歯を立てた痕に舌を這わせ、首筋を舐め上げるとその肌は汗で塩辛い。さすがのサンジも身体までは甘く無かった。
「あっ…ばっ、ばか…!も、…っ!」
 サンジの制止など意にも介さず乳首を捏ね、反応を確かめながら下を扱き同時に刺激を与えていると、ぎゅっと目を瞑ったサンジは押し殺すように小さくくぐもった声を上げた。勢い良く吐き出された白濁がサンジの胸を汚し、その官能的な光景にゾロはまたしても眩暈のするような感覚に苛まれながら、それを脳裏に焼き付けるように、静かにサンジを見つめていた。
 
「ぅ…っ、おい、このっ…バカやろうが…」
「…早かったな」
「だから、やめろっつたろうが…」
「いつもこんなもんか?」
「っんなわけねェだろうが、お前だからっ…」
「好きなやつだからか?」
「ああそうだよ、しょーがねェだろ…好きなんだからよぉ……」
 肩で息をするサンジのその声が僅かに震えていたので、薄っすらと髭の生えた顎を救い上げると潤んだ瞳にゾロが映る。泣いてこそいなかったが、その瞳に涙を溜め、息を漏らしながら切なげに見つめられ、それがなんだか堪らなくて、薄く開かれた唇に引き寄せられるように唇を落としていた。
 唐突に縮められた距離にサンジは何が起こったか理解が追いついていないのか焦点のずれた目を丸くして唇を押し付けられていたが、視界いっぱいに広がるサンジの瞳を眺めていると不意に肩を押し返された。
「してもいいぞ、キス」
「ッしてから言うんじゃねェよクソバカてめェコノヤロッ…!!」
 呆然としていたサンジに声をかけるとようやく時間が動き出したように声を張り上げたが、変なところで理性が働いたのか慌てて手で口を塞ぎ怒声を掌に押し込める。今頃他のクルーはいつも通りの夜をいつも通りの寝具の中で過ごしている。不用意に大声を出せば誰かが起き出してくる可能性は十分にある。サンジはきっと今ゾロとしているこの行為を他の連中には知られたくないのだろう。ゾロにとっては誰に何を知られようがどうでもいいことだったが、今この瞬間を誰にも邪魔されたく無いような気がした。
 しばらくして掌に顔ごと押し込めていたサンジが顔を上げると、改めてゾロを真っ直ぐに見据え、長い指がそろりとゾロの頬に添えられる。
「…いいんだな、しても。いいっつったな。……するからな」
「おう」
 ゾロが短く答えると、おずおずと顔を近づけて、触れるだけのキスをする。目を閉じたサンジの柔らかい唇の感触が伝わると、ぬるりとした感触が唇を割ってきたのでぎょっとして今度はゾロから身を引いていた。
「おい。していいって言ったろ、何逃げてんだよ」
「いや、そうなんだが」
「……お前まさか、したことねェの?」
「ねェよ」
 素直に答えるとサンジは再び目を真ん丸くさせたが、それはすぐに細められ「ゾロの初めて、奪っちまったなぁ」と嬉しそうにも嫌みったらしく言ったので、キスの初めてがどうとかなんだか良く判らないゾロも馬鹿にされているような気分になって腹癒せにその身体を思いっきり抱き締めてやった。
 突然圧迫されたサンジはぎゃっ、だかぎゅっ、だか短く呻いた後、「イテェよバカコラ、もっと力抜け」と控えめな声音で抗議してきたので少しだけ腕の力を緩めてやると、ほっと息を吐いて力の抜けた頭をゾロの肩に預けてきた。
「……なんなんだよ、お前…」
「そりゃこっちのセリフだアホ。ほんとわけわかんねェ野郎だてめェは…ぐるぐるしやがって」
「アホっつーなコラ、アホはてめェだバカ」
「誰がバカだコラ」
「つーかてめェ、何どさくさにまぎれて噛み付いてくれてんだよ……痕残ってねェだろうな」
 無意味な問答を続けていると、サンジは今思い出したかのようにはっと顔を上げ自分の肩を確認するが、位置的に見えないのだろう。目顔で訴えてきたので、代わりにゾロが噛み付いた部分を確認してやる。薄っすらと赤く歯形が残っている。
「ああ、残ってんな」
「あァ!?」
 悪びれもなく見た通りに告げると、サンジは恨めしそうに睨んできたが「このバカ…」と小さく悪態を吐いて再び頭をゾロの肩に沈めた。
 そうしたまま、静かにサンジの吐く息を肩に感じていた。昨夜知ったばかりの柔らかい感触が頬を擽り、襟足を撫でるといつからかゾロの背中に回されていたサンジの手にぎゅうと力が込められる。掴まれているのはシャツなのに、身体ごと締め付けられたような感覚がして、サンジの丸い頭を抱きこみぎゅうと締め返してやる。すると何かを思い出したかのようにサンジの片腕が背中を下り、そろりとゾロの股間を撫でてきた。ここまで一度も触られることも無かったのに下着の中ですっかり膨張しきっていたそれは敏感に刺激を感じ取り、堪らず身じろぎをする。
「なァ…ちゃんと勃ったじゃねェか……キツイだろ、また口でしてやるよ」
 挑発的に笑ったサンジがゾロを覗き込んでくる。魅力的な申し出だったが、今それをされてしまっては、昨日のようにおとなしくしていられる自信がない。衝動のままに欲望をぶつけようにも、ゾロはその方法をよく知らない。たとえ肉食獣が獲物をいたぶるが如くサンジを扱ったとして、容易に壊れるほどやわな身体でないことはゾロも良くわかっている。だが、だからこそ厄介なのだ。サンジはきっと、夢中で獲物に喰らい付くゾロを宥めすかすようにして、皮肉めいた笑みを浮かべながら、優しくその手綱を握るのだ。ムカつく。
 想像の中のサンジに腹を立てながら現実を見ると、一見余裕ぶった表情にもいつになく疲労の色が滲んでいるように見える。そんなサンジをこれ以上働かせるのもなんとなく気が引けたので、腹巻の隙間に滑り込もうとしていた手を掴んでそっと身体を離した。
「自分でやるからいい。てめェはもう休め。死にそうな顔してンぞ」
 昨日はゾロだけが出したのだからこれでお相子だろう。それに、今日もゾロは汗をかいた身体のままだ。
「あァ…気持ちよすぎて死にそうだぜおれァ…こーゆーのなんつーんだっけ、快楽死?」
 離れた身体を深くソファに沈め、冗談めいたように言うサンジに「アホ言ってねェで寝ろ」とその頭を軽く叩いた。叩いたついでに少しだけ撫でると、サンジは少し複雑そうな顔をした。
「…言っとくけどなゾロ、おれはレディじゃねェんだ。そりゃてめェに比べりゃ繊細な感性を持っちゃいるが、ちょっとやそっとじゃ壊れねェことはてめェも知ってんだろ。優しく扱う必要なんてねェし、変に気ィ遣ったりすんじゃねェよ」
 言われるまでも無く、サンジを相手に気を遣うつもりなど毛頭ないのだが、何故改めてそんなことを言い出したのかゾロは不思議に思う。女のように扱おうとも思わないし、もし気を遣っているように見えたのだとしたらサンジの勘違いであり、どれかと言うとプライドの問題なのだが、それを素直に白状するのも癪に障る。
「別にてめェに気なんか遣わねェよ。おれはおれのしたいようにしてるだけだ」
 したようにする。それも正直な気持ちだった。
 サンジはやっぱり複雑そうな、少し困ったような顔をしていたが、ゾロの答えに「ならいいが」とそっけなく呟くと気だるげに乱れた衣服を整え出し、もう一度確認するように声をかけてくる。
「…ほんとにしなくていいのか?」
「ああ」
「じゃァ、また今度な」
「次ン時はまァ、風呂ぐらい入っといてやるよ」
「おーおー、そうしてくれっと助かるぜ。つーか風呂ぐらい毎日入れっつーの」
 べ、と舌を出して聞き慣れた小言を口にしながらポケットから煙草の箱を取り出して見せる。
「おれは一服してくから、おめェは先に部屋戻って寝ろよ」
「おう」
 おやすみ、と笑うサンジを少しだけ名残惜しく思いながら、促されるまま踵を返すと、ぐいと腕を引き止められる。
 振り返るとサンジがゾロを見上げ、
「な、ゾロ…もう一回だけキスして…」
 と言ったので、丸い頭を引き寄せて最後に短く、触れるだけのキスをした。

おわり(仮)