隣の船の男 side:Z
その船には海のコックを探すために立ち寄るはずだった。
海賊旗を掲げたばかりの麦わらの一味の船は、ヨサクとジョニーに案内された海上レストランの近くで運悪く海軍と遭遇してしまい、想定外の足止めを喰らう羽目になった。海軍との小競り合いの流れ弾でレストラン船の一部を盛大に破損してしまった代償として、ルフィが一年間の雑用を務めることになってしまったのだ。
ルフィが犯人としてレストランへ連行されたまま戻らずにいる間、残されたゾロ、ナミ、ウソップの三人は様子見ついでに食事をとりにレストランへ赴き、そこでルフィの処遇を知ることとなる。雑用として働かされているルフィの姿を確認した時は笑ったものだが、その際出会った厳めしいオーナーと副料理長を名乗る小綺麗な男の様子を見るに、非情に癖の強いレストランであることは明らかで、どうにも一筋縄ではいかない状況になってしまっているようだ。
食事を済ませた後、ルフィを除くクルーで軽く話し合った結果、今日のところは船をレストランの横に付け、先のことは様子を見ながら決めようと言うことになった。
ゾロとしては、ヨサクとジョニーに知らされたレストランでの鷹の目の目撃情報から、しばらくこの付近に滞在するのもやぶさかではなかったのだが、流石にルフィが刑期を終えるまでの間ずっと待ち続ける訳にもいかない。ルフィのことだ、一年も大人しく雑用を務めあげるなどそもそも無理な話だろうが、だとしたら身代わりとして他のクルーを差し出すか、賠償金を用意しなければならないだろう。食後の話し合いの際、この船の金庫番であるナミがちらっとそんな話をしていたが、当然、雑用など誰もやりたがらない。そして今の一味にまとまった金も当然ないため、結局金策に走る必要が出てくる。ともすれば海賊になったばかりのゾロは、また海賊狩り生活に戻ることになりそうだ。元々海賊などなる気もなかったのだから別にそれでも構わないのだが――少なからず愛着が生まれだした仲間の存在、手に入れたばかりだが、住処でもあるメリー号を離れるのは少しばかりの寂しさを覚えた。
ルフィも性に合わない雑用などやっていないで、コックの一人でも浚ってさっさと出航していまえばいい。海賊なのだから、ゾロを勧誘した時のように脅迫でもして、欲しいものを奪ってくればいいのだ。
今この場にルフィがいたらそんな説教をしてやりたい気分だった。
ゾロ達が待機するメリー号の何倍も大きい隣の船、海上レストランから賑やかな気配が消え始めた頃には、メリー号の船上でも各々寝支度を始め出していた。ウソップと手負いのヨサクとジョニーは男部屋へ、ナミは女部屋へとそれぞれ休みに行ったため、ゾロは見張り台に上がっていることにする。見張り台に上ったからには見張りを買って出たつもりであったが、広い空に星を数えている内にいつの間にか眠りに落ちていたようだ。
近くに聞こえた物音で目が覚める。
辺りはまだ夜の景色で、寝落ちしている時間はそう長くはなかったようだが、海に浮かぶ二つの船はゾロが眠る前と比べ、すっかり静まり返っている。
周囲を見渡し、先程の音の出所を探る。月が照らす夜空は意外と明るく見えるもので、ゾロのいる見張り台から視線を上げると、気の毒な壊れ方をしたレストランの屋根が見える。苦笑いをしながら頭を下げると、レストランの二階に位置する部屋に薄ぼんやりと明かりが灯っており、ゾロを起こした音はどうやらそこから聞こえたようだ。丁度その部屋の窓からデッキに出てくる人の姿が見えたので、見張り台の淵に凭れながらその姿を目で追った。
月の光を映した丸い金髪頭に、青のストライプシャツ。見覚えのある細身のシルエットは、昼間レストランで何かと喧しく騒いだ後ルフィを引き摺って行った、副料理長を名乗る男だ。昼間、ナミに向かってなにやら呪文のような言葉をべらべら並べ立てた後、恰幅のいいオーナーに派手に投げ飛ばされていた姿が思い起こされる。細身の身体にスーツを着こなし、一見育ちの良さそうな見た目に反して、チンピラじみた言動の男。ナミや他の女性客に対する軟派な態度。鼻持ちならない野郎だ、と思ったのが昼間の印象だ。
だが今改めて見ると、喧噪の中心で一際喧しくしていた姿とは打って変わり、夜の静寂に馴染む儚げな印象すら抱くのだから不思議なものだと思った。風に揺れる繊細な金の髪と、その陰に見え隠れするうずまき眉毛。煙草を口元に運ぶ指先、煙を吐き出す口元……何を意識したわけでもなかったが、その男の存在が一際浮き立って見えるようだった。
男は紫煙を燻らせながら観察でもするようにメリー号を見下ろしており、ゾロの存在には気付いていないらしい。
誘われるがまま男の姿を眺めている内、さすがにゾロの気配に気付いたのか、顔を上げた男と目が合った。丸く見開かれた目が意外と大きい、などと思っている内にその男が声をかけてきた。
「よぉ」
「……おう」
まさか話しかけられるとは思わず少々驚いたまま返事をすると、お互い見詰めあったまましばらくの沈黙が続く。ゾロとしては特に話すことなどないため黙っているしかないのだが、話しかけてきた男は何か用があってのことではないのか。続く言葉を待ってみたが、どうやらそうではないらしい。男が口を開く。
「おい、なんか用があってこっち見てたんじゃねェのか?」
「いや……別になんもねェよ」
ゾロが男を見ていたせいで、なにか意図があるものと勘違いさせてしまったようだ。いや、全く何の意図もなかったと言えば嘘になるのだが、かといってわざわざ相手に説明するような事でもない。ただ見ていたかったから見ていただけのこと。相手にリアクションを求めていた訳でもないため、男の問いには適当に否定して返すと、男は眉を顰めてゾロを睨んできた。
「じゃなんでジロジロ見てんだよ」
先程の気安い調子とは一変して、声色もやや不機嫌そうだ。
「……なんかいたから見てただけだ」
「なんかってお前……」
今度は呆れたように僅かに肩を落として見せる。口を開けば昼間の印象通り、喧しい男なのだと思う。黙っていれば見栄えはするだろうが、これはこれで見ていて飽きない。
「あのな、てめェ、人をジロジロ見ンのは失礼だって教わんなかったのか?」
「……覚えてねェな」
「じゃあ今教えておいてやる。喧嘩売ってねェならこっち見んな」
「……まァ今はそんな気分じゃあねェな」
喧嘩をするのも楽しいだろう。だがこんな夜更けにドンパチやり出す気にはならなかったし、どちらかというとゾロは今、その男を静かに楽しんでいたい気分だった。昼間のヒリついた空気とはまた違った苛立ちを滲ませていて、男の感情の起伏が面白い程伝わって来るのがなんとも愉快だ。
「見ての通り見張り中だからな。人の気配があったから気にして見ていただけだ」
「……チッ、だったら初めからそう言っとけ」
ゾロが当たり障りない事実を伝えると、男は不満を零しながら煙草を口元に運び、深く息を吐いた。男の視線は、今度はゾロを探るかのように訝し気に窄めらている。ゾロも不思議に渦巻く眉毛などを眺めていたため、そのまま無言で見詰めあう格好になっていたのだが、しばらくして急に視線が逸らされてしまった。追うように凝視してみても上手く表情が伺えない。
「まぁいい、明日も早ェんだこっちは。何もねェならおりゃもう寝るぞ」
男はそう告げると、こちらの返事も待たずにとっとと踵を変えして部屋の中へと戻って行ってしまった。
「ああ」
「船長のことは残念だったな。せいぜい身の振り方を考えとくこった。じゃあな、おやすみ」
「おー……おやすみ」
少しばかりの名残り惜しさはあったが、引き留めるための言葉も浮かばず、オウム返しの挨拶だけをして窓を閉める男の姿を見送った。
しばらくして部屋の明かりも消えたため、就寝したのだろう。
静寂を取り戻した空の下、目を閉じて、瞼の裏にメリー号に乗る男の姿を映し出す。それはあまりにも自然に溶け込み、クルー達と賑やかに喧しく騒ぐ男の姿を、ゾロはやはり静かに眺めていた。見られていることに気付いた男は不機嫌そうに眉を顰め、何か文句を言いながら手の届く距離まで近付いてきたので、それに触れてみると、男は驚いたように目を丸くする――。
このレストランにはコックを仲間にするために立ち寄った。
やはりさっさとあのコックを浚って出航していまえばいい。海賊なのだから、欲しいものは奪えばいいのだ。
レストランでルフィの隣に立つあの男の姿を見た時、半ば確信めいた感覚があったが、今はもっと心の奥底の本能が、アレを手に入れたい、と唸り出した気がしていた。
END