よいどれによいどれるよる

 それがいつのことだったか記憶は定かでないが、一味がまだメリー号に乗っていた頃の話。

 その日は甲板にて宴が行なわれた。
 いつも通り船のコックが拵えた絶品の料理の山と共に飲めや歌えや、一頻り盛り上がった頃にはとっぷりと日も暮れ、これまたいつも通り静かに手酌を続けていたゾロは騒ぎ疲れて眠り込んだ年少組を男部屋に押し込み、女性陣は程よいところでさっさと引き上げていたので船上で起きているのは最後まで酒を楽しんでいたゾロと、後片付けにキッチンと甲板を往復しているサンジだけになっていた。
 そのまま不寝番を勤めることとなるゾロは見張り台に上がる前に、辺りに散らばる空瓶をかき集めラウンジに運ぶことにする。

 先に食器類を片付けていたサンジは大量の洗い物をシンクに置き、続いて現れたゾロと空瓶に気付くとその辺に置いといてくれと適当に指示を出す。
「下、まだ片付けるもん残ってたか?」
「いや、これで最後だ」
 もう甲板に降りる必要がないことを確認するとキッチリ着込んでいたスーツのジャケットを脱ぎ、シャツをくるくる腕まくりついでにネクタイも取っ払って洗い物体勢に入ったようだ。
 ゾロは指示通り空瓶を下ろすとその中に一本、まだ栓の開けられていない瓶が混ざっていることに気付いた。
 折角だからこれも飲んでしまうか。
 不寝番のお供に見張り台に持ち込もうかとも思ったが、なんとなくその場で栓を空け、テーブルについてみた。
 そんな気配を感じ取ったのか、どうせ手伝うわけでもないゾロがまだラウンジ内に留まっていることを不審に思ったのか、背中を向けていたサンジが怪訝そうに頭だけ後ろを振り向いた。
「お前まだ飲むのかよ」
「1本残ってた。どの道不寝番だ」
「まぁいーけど…」
 普段ならば飲みすぎだバカと口うるさいサンジも宴の余韻に水を差す気はないらしい。
 見咎めるような視線を向けたものの、それ以上特に言及することなく再びシンクに向き直り洗い物を始めた。

 水音と控えめな陶器の触れ合う音のみが響く静かなラウンジで、再びの手酌…グラスがないので直飲みに興じるゾロは何とはしにサンジの背中を眺めていると、ふと、宴中も何かにつけ動き回るサンジの様子を思い出した。
 常日頃から食事中でも誰かの「おかわり」の声に応えせっせと給仕に動く様を見ているのでそれはお馴染の光景ではあるのだが、宴の時くらい仕事を忘れて羽目を外してもいいのではないか。
 誰かがそんな声をかけていた気がする。
 それに対し一時談笑の輪に加わっていたサンジはへらへら笑いながら「おれがやらなくて誰がやるんだよ」だとか「好きでやってんだ、気にすんな」などと返しまたキッチンと甲板を往復していた。確かにサンジがやらなければ誰もやらないのは明白だし、本気でサボりたければサボっても誰にも文句は言われない状況にあってもじっとしていないのを見るに好きでやっているのも本心なのだろう。泳ぐのをやめると死んでしまう魚がいたような気がするが、サンジもその類のようだ。
 魚サンジとは対照的に脳味噌まで暇を持て余すゾロはおぼろげな記憶を引っ張り出していたらうっかり背鰭のない背中に声をかけていた。
「たまにはおめェもどうだ」
「あ?何?」
「どうせあんま飲んでねェだろ」
「え」
 手持ちの瓶を軽く上げて見せ、酒席に誘うゾロの言葉は意外だったらしい。
 洗い物の手を止め半身を振り向けたサンジは片方しか見えない目を僅かに見開いていた。

 ゾロとサンジは言わずと知れた犬猿の仲、口を開けば悪態を吐き合う二人の間に「一緒に仲良くお酒を飲みましょう」なんて誘いはこれまでなかったことだ。
 正確にその台詞をなぞったわけではないにしてもこの状況では自ずとそういう誘いということになるが、そんな意識はゾロにはない。
 一人働くサンジの傍らだらだらしているだけの良いご身分に後ろめたさを覚えて声をかけたわけではない。堂々としたものだ。
 無論、無言で過ぎる時間が気まずかったわけでもない。
 無駄なお喋りに興じる趣味もない、どちらかといえば一人静かな酒を好むゾロが話し相手を欲したわけもなかったが、先ほどまでの騒がしい宴の中クルーの賑やかな話し声をBGMにしていた余韻を引き摺って少しばかり人の声を恋しく思う気持ちが無意識的に、多少はあったのかもしれないが、概ねただの気まぐれだ。

「あー……だな。まぁたまにはゆっくり飲むのも悪くねェかな」
 ゾロの顔と洗い物の山を見比べ少しの間をおいてサンジが出した答えは、意外にも乗り気のようだった。
 自分で言い出して意外というのも変な話だが、サンジのことだから「おれはてめェと違って忙しいんだよ」と一蹴されると踏んでいたゾロは少々面食らっていた。とはいえ、嫌なわけではない。
 サンジは手に付いた洗剤を洗い流し、水気を拭き取ると手早くグラスを2つをテーブルに並べ、あーそうだ、と何かを思い出したのかシンクの下からひょいっと一本の酒瓶を取り出し、ゾロの向いの席に腰を下ろした。
「これ空けちまうか」
「んなとこに隠し持ってやがったのか」
「バーカ、こりゃおれ用だ」
 てめェみたいな飲み方する野郎には勿体無ねェ酒だ、と通常営業の文句をたらたらコルクを抜くと二つのグラスにそれを注ぎ、琥珀色の液体で満たされた片方をゾロの前に滑らせる。
 おれ用、などと言ってもわざわざこの場に持ち出したのだから、それを一人だけ飲もうとするほど意地が悪いわけではない。
 おれのだからてめェにはやんねーよバーカと口では言いつつなんだかんだ自分の分までくれてやる、サンジはそういう男だ。どんな育ちか知らないが捻くれるにもほどがある。
 ゾロが先に空けていた分は一旦脇に置き、早速差し出されたグラスを口に運ぼうとしたところサンジが自分のそれをこちらに向けてきたのでキン、と控えめな音を響かせてから口をつけた。
「うめェ」
「だろ?」
「こりゃいい酒だな」
「おめェにも酒の良し悪しくらいはわかるんだな」
「まぁな」
 別に酒だけではないのだが。食事だって旨い不味い好き嫌いくらいは当然あるし、いつも旨い飯を作るサンジがとっておきと言わんばかりに隠し持っていた酒の味はゾロの口にも合い、やはり旨かった。
 宴中から先刻まで飲み流していた明らかな安酒に比べ、滑らかな舌触りのそれはそこはかとなく上品な味がする。
 からかうように感心の声を上げるサンジの言い草が多少気に障りはしたが、それに続く「つーかそうやってちゃんとコップ使って飲め」なんてどうでもいい小言ごと聞き流して今は滅多に口に出来ないであろう酒の味を楽しむことにする。
 傍らで同じようにグラスを傾けるサンジはこれまたそこはかとない品のよさを醸し出しながらこの酒はどうたら、どの料理に合うかという薀蓄を垂れているが、細かいことは気にしないゾロは銘柄と産地だけを記憶に留めどこかで見つけたら買ってみようかと考えていた。
 だがそれなりの値段もしそうなそれを買う機会なんてほとんどないだろうとも思った。
 またサンジが買ってきたときに今日のようにお零れに預かるか、しかし果たしてこんな機会こそがまたあるのだろうか。
 今はゾロの舌も楽しませるこの酒だってきっとサンジは一人で楽しむためか、女と飲む際に振舞うつもりの一品だったに決まっている。
 そもそもゾロとサンジは二人で仲良く酒を酌み交わすような間柄ではないのだから、今日が特別なのだ。
 いつもよりのんびりと、しかし相変わらず良く口の回るサンジにふと視線を上げると、丁度サンジもゾロを見てなんだか妙な感じがした。
「にしてもあれだな、おめェと二人で飲むなんてなんか変な感じするぜ」
 まさに今ゾロが考えていたことをサンジが口にしたので、共感が自然と会話を誘う。
「全くだ」
「自分で誘っといて」
「そりゃそうなんだが…まァただの気まぐれだ」
「だろうな。だっておめェ…あ、てめっまさかこれ目当てだったとか?」
「あ?何の話だよ」
「だから、おれが酒隠してたの知ってたんじゃねェだろうな?」
「いや、知らなかった。まさかこんなもん隠し持ってるとはな。おれにとっちゃ棚から牡丹餅ってやつだ」
「ほんとかよ…まー隠し場所バレちまったし、次から場所変えるから探すんじゃねェぞ」
「せいぜい見つからねェように隠すことだな」
「探す気満々じゃねェかてめェコラ」
 でもこの船狭ェからな、どうすっかなぁと一人ごちるサンジの言葉からゾロが探すこと自体は諦めたらしいことは窺い知れた。
 だがゾロに本気で探し出して勝手に飲むつもりなんてないことは恐らくサンジも承知の上だ。
 本当に知られたくない探られたくないものなら今日だって隠し場所がバレるような出し方をしなかっただろう。
 そんなことに労力を使わなくとも酒が飲みたければサンジに言えばちゃんと出てくる。
 安酒だろうがつまみのおまけもついてくる。普段はそれで十分だ。
 今日は特別な日なのだ。特別な日は特別な時にしか訪れないからこそ特別なのだ。

 それからしばらく、主にサンジが話題を振りそれにゾロが相槌を打つ形で悪態ベースの穏やかな会話が続き、時折いつもの調子で口論になってもクルーが寝静まった船内で怒鳴りあい殴りをして皆を起こすわけには行かないという気持ちも働いてかどちらからともなくそれをいなし、賑やかな宴の席とは打って変わって二人きりのラウンジには静かな時間が流れていた。
 普段は煩わしいばかりのサンジの言葉も今は不思議と耳に心地良い。
 たまにはこういうのも悪くない、とゾロが考えていると
「たまにゃぁこういうのも悪くねェな」
 とサンジが笑うのでつられてゾロの顔にも笑顔が浮かんだ。
 気の合わない二人が同じことを考えていたことが少し嬉しかった。



 質の良い酒はその味を堪能しつつもすいすい喉を通り、あっという間に空になった。
 折角のサンジのとっておきであっても主に飲んでいたのはゾロだったが、グラスの中身がなくなるとこちらから促すまでもなく注ぎ足してきたのはサンジの方からだったので気にするまでもなかったし、途中ったくおめェは、ペース早ェなぁなんて言われはしたが、この酒は一度あけたらさっさと飲まないと味が劣化するのでどの道今飲みきるつもりだとも言っていたので問題ないのだろう。
 グラスに注がれた分を先に飲みきったゾロは次を要求しようとしたが先に口をつけていた安酒の存在を思い出し、流れるように切り替えるとその味わいの差に舌から文句が飛び出したがそれごと飲み下してやった。サンジといるとゾロは少し贅沢になるらしい。
 サンジもとっておきを空け終わる頃には程よく酔いが回り、久しぶりののんびりした酒席に興が乗ったのか次の酒を持ち出し二人分の空になったグラスに注ぐ。
 2本目以降は当然安酒に格下げしたのは少々残念であったが、ぽつぽつと雑談を続けながらお互いその場を楽しんでいた。
 ザルのゾロは言わずもがな、宴から飲みっぱなしでも依然ケロリとしたものだったが、給仕に支障が出ないよう程ほどに留めているサンジがこんなに飲んでいるのは珍しい。
 酒が進むごとにサンジの色白い頬は赤みがさし、また声色も次第に酔いの高揚感を帯びていることには気付いていたが、程なくして2本目も空になるとサンジはまた次の瓶に手を伸ばし出したのでどうやらまだ切り上げるつもりはないようだ。
「おい、大丈夫か?」
「あん?何が?」
「そんな酒強くねェだろ」
「うるせェな。弱くもねェよ。おめェみてェなバケモン級を基準にすんな」
 確かに本人の言う通り弱くはないようだが確実に酔いは回っている。先ほどからふぅ、と悩ましい吐息を漏らし火照る体から熱を逃がすようにシャツの前ボタンを外す仕草をしていた様子はゾロの目に付いていた。
 普段はキッチリ第一ボタンまで閉められたシャツにネクタイを締めたスーツスタイルが基本で過度に肌を晒さすことのないサンジだったが今その胸元はだらしなく肌蹴ており、白い肌がほんのり赤く色付く様は何故だか妙に艶かしい。
 ゾロのやんわりとした静止を気に留めることなくサンジは上機嫌に新たな酒を注いでいた。
 まあ潰れたら適当に部屋に放り込めばいい、と結論付けたゾロもそれ以上止める気も起きず、ついでに自分の空いたグラスをサンジに向けると素直にそれに応え、話題を一つ巻き戻した。
「で、どーなんだよおめェは」
「だから興味ねェって言ってんだろ」
「んだとぉ面白くねーヤローだぜおめェってやっつぁよ、硬派ぶってても性欲はあんだろそーゆーお年頃だろ」
 巻き戻り先のサンジの話題は女の話だ。
 折角柄にもなくサンジを心配する言葉をかけて話題を変えようと試みたのに、どうすればサンジの興味が空想上の女から逸れるかゾロが考えるより早くサンジの口が回り始めていたのでいっそその口塞いでやろうかと思ったほどには、この状況に少々参っていた。
 色事などまるで興味のないゾロは一方的なサンジの話に適当に相槌を打って聞き流しているまではまだ良かったのだが、脳内お花畑を一頻り披露したサンジはそれに満足せず、今度はゾロを探るように話を振ってきた。
 サンジの胸元が艶かしいなどと大凡この暴力コックに似つかわしくない表現をしてしまったのはそのせいだ。
 しかしどれだけ探られたところでサンジの欲求を満たす手段をゾロは持ち合わせていないのだ。
 そもそも他人という存在にそれほど興味があるわけでもないゾロにとって、特別な感情がある女と言えば仲間として寝食を共にするこの船の女性陣と幼少期に亡くした幼馴染、それに良く似た海軍の女剣士の顔が思い浮かんだが、何れも今サンジが話しているような性欲の絡む感情は断じてない。
 勿論性欲がないわけではないし、そういうお年頃であるといえばあるのだが、適当な自己処理で間に合っているので好みもクソもありやしない、たまに誘われるがまま女を相手にしたとしても行為は非常に淡白なもので特別なこだわりなどやはりなかった。
 そんなゾロと普段から女性と見ればだらしなく鼻の下を伸ばしているサンジはそういうところも相容れない原因であることをお互いわかっているはずなのに、そして先ほどから幾度となく「興味ねェ」「わからねェ」「くだらねェ」と突っぱねているのにすっかり出来上がったサンジの耳は右から左に受け流し、とにかくゾロから色っぽい話を引き出すことに躍起になって熱を孕んだ据わり気味の目としっとり塗れた唇でしつこく絡みついて離そうとしてくれない。
 纏わりつくそららから逃れるために視線を下ろすと今度は程よく筋肉のついた男の胸板、だがゾロのものとも有象無象の野郎とも明らかに異質なサンジの胸が嫌でも目に付くので仕方なくそこを見つめているのだが。

「好みくらい教えてくれたっていいだろーが、どんな子がいいんだよ」
「だからどんなって言われてもな…」
「巨乳か、やっぱ巨乳がいいのか、あの如何にも柔らかそうな主張は男の憧れだよなァ」
「おれは何も言ってねェだろ…胸の大きさなんてどうでもいい」
 ゾロのおざなりな返答にどうでもいいだと!?とサンジはいきり立つが、少し前にサンジの薄く色づいた唇が胸がどうとか話をしていた(ような気がする)時に巨乳が良いと言った舌の根も乾かぬうちにないことが悪いわけじゃない、むしろ良いと意見を180度ひっくり返した後、形がどうだとか、大きさなんて些細なことだとか、サンジ自信こだわりがあるんだかないんだかよくわからない持論を展開していた(ような気がする)が、ゾロの返答がサンジのそれとどう違うのかゾロにはさっぱりわからない。こだわりを持ってこだわらないのかもしれない。
 これ以上追求されたところでサンジが納得するような返答をゾロが出来るわけもないのだが、どうすればこの話題を終わりにできるのか、口の回転速度ではサンジに今一歩劣ることを自覚しているゾロが一生懸命知恵を絞っていると気付いたらサンジの話はまた巨乳がどうたらないことが悪いわけじゃないという聞き覚えがある(ような気がする)話を身振り手振りで繰り替えし始めたので、いい加減サンジの胸を眺め続けるのにもうんざりした。
 動きを加えられると肌蹴たシャツがずれ思いがけず乳首が見えそうになるのがイチイチ癇に障るのだ。
 酔っ払いの基本スタイルであるサンジの話はぐるぐる巡り巡ってまた同じところに戻ってくるであろうことを察したゾロは、この場は適当に話を合わせることでさっさと終わらせる方向に持っていく腹を決めた。
「あー…胸はどうでもいいが肌は白い方がいいとか、そういうのでいいのか」
「おっ、なんだやっぱあるんじゃねェか!そーいうのが欲しかったんだよおれは!そうかそうか、ゾロは色白な子が好きなのか」
 サンジの熱弁を割るように言葉を挟むと目論み通りあっさり乗ってきた。
 脳内に住む女に思いを馳せた助平面からころっと表情を変え爛々とした瞳でゾロを覗いた後、どこに向けて語るでもなく色白は良いよな、きめ細かそうできっと手触りも最高でよ、でも褐色肌も艶やかでエキゾチックな魅力がなどとやはりこだわりがあるのかないのか理解不能なこだわりを披露するともっともっとと続きをねだる大きな目がゾロを捕らえる。
 特徴的なぐるぐるマユゲを忙しなく動かしながら生き生きと語る内容はただの下ネタなのにその表情だけ見ればまるで夢物語を聞かされてワクワク胸をときめかせている子供のように豊かに輝いている。内容は下ネタなのに。だがそれも成人近い男が語るには十分夢物語に近い部類の話である。
「目が大きくて丸っこいような…あー…」
「おうおう、」
「髪は短ぇな」
「へぇ、確かにおめェはそんな感じだよな、なんつーか活発そうな?高嶺の花より身近な幼馴染みてェな?あ、小動物系?」
 サンジの思い描くそんな感じがどんな感じか知らないが、何に納得したのかうんうん大げさに首を縦に降り、柔らかそうな金髪を揺らす。さらさら流れる金髪はラウンジに点るささやかな光に照らされ目を眩ませる。
「金髪碧眼だな」
「あ?何だゾロのクセに色にまで注文つけんのかよ」
 突っかかるような言い草もゾロの意外なこだわりの回答にその声色は変わらず楽しげで、ころころ喉を鳴らすような笑みを零している。
 でも短くて金髪碧眼ってーとまたイメージ変わってくるな、つーか意外と理想高くねェかおまえ、と呟くサンジの緩みきった頭の中ではゾロから与えられた情報を頼りにゾロ好みの女性像を思い描いているようだったが、残念ながらこだわりなんてないゾロはただ目の前にいるサンジの特徴を見たまま論っているだけなのだ。
 だから最終的にその女性像はサンジの姿になるのだか、女の話をしていると思い込んだ酔っ払いがそれに気付く様子はなく、やっぱおめェが緑だから?などとやっぱり良く分からないことをさえずっている。
「で?他には?」
「他?あー……柔らかそう?」
「あのなぁお前…女体ってーのはもれなく柔らけぇんだよ、あ、あれか?程よく肉が付いてるってーことか?」
「体の話じゃねェよ…体は引き締まってるんだが…なんつーかこう、表情とか、雰囲気か?」
「ああそういう…おめェなに、レディにも筋肉求める派?筋肉フェチなのか?でもわかるぜ、レディの笑顔ってのはそれだけで幸せになれるっつかーよ…なんだ堅物のおめェもやっぱそういうの求めちゃうんだなやっぱ、男はレディの笑顔には勝てねェように出来てんだよなぁ…」
 女の話なんてしちゃいねぇゾロの話を都合のいいように解釈するサンジはぼちぼち眠気が差してきたのか声のトーンは幾分か落ち着いてきたが、ぼんやりと幸せな妄想に耽る様はふにゃふにゃトロリと蕩けるようで今舐めたらやたら甘い味がしそうだった。


 しかしいつになったらこの話題は終わるのだろう。
 さっさと終わらせるためだけの外何の意味も持たないゾロの回答はサンジを逐一刺激しその度妄想を繰り広げてくるのできりがない。
 そろそろ目に入る範囲で得られる当たり障りない特徴は上げ終えたように思ったゾロは次にサンジの隠された下半身を思い出すと掴みやすそうな腰と引き締まった小尻というワードが頭に浮かんだが、これではまるでサンジの腰を掴みその小尻に己の衝動を打ち付けたい願望でもあるような錯覚を覚え口にすることが憚られた。
 不本意ながら目の前のサンジを観察している内に頭の中をサンジに侵食されそのしなやかな身を持って情欲を煽りに煽り激しく掻き立てられているような如何ともしがたい感覚に苛まれ、いつもよりやや早まる動悸とじんわり汗ばむ体温にまさか酔いが回っているのかと疑いすらしたが、それにしては思考も意識もハッキリとしている。
 いっそのことサンジの特徴を言っていただけだという事実を告げ、からかい弄ばれたことにようやく気付いたサンジを適当に怒らせていつものように口喧嘩でもしたらこんな今にも俯くサンジの丸い頭に手を伸ばしてしまいそうな衝動などサッパリ消えてなくなってくれるのではないか。
 さてサンジはどこでその事実に気付いて怒り出すか。匂い立つ色香を掻き消し毛を逆立たせニャアニャア抗議するサンジの様を想像したら少し楽しくなってきた。
 サンジのフィールドで散々良いようにされていたゾロだがこうなれば煩わしいばかりだった話題も一変、いつも通りのゾロによるサンジ弄りも同然だ。

「性格は気が強ェ方がいい」
「…ん?ああ?ギャップってやつ?普段は気が強いけどふとしたとき見せる儚さにドキってするやつ?」
「背はおれと同じくらいで頑丈で、力はまぁおれよりちょっと弱ェくらいだな」
「おめェと同じ…つかレディに戦闘力なんて求めんなよ、男が守ってやんだよ」
「守る必要がねェくらい適当に扱っても壊れねェ」
「ふざけろてめぇそんな、ぞんざいに扱うなんて宣言、」
「料理が上手い」
「おれがゆるさねぇ…ん?料理はおれ作るし、おいしそうに食ってもらえたら、」
「脚が長くてスーツが似合う」
「んあ…?」
「変なマユゲ」
 サンジに話を広げられないよう捲くし立てるゾロの口撃に酔いの回った頭ではいよいよ思考が付いてこないらしく、粗方特徴を上げ終えもう次が見つからなくなったタイミングで止めとばかりに決定的なマユゲを突きつけてやった。
 ヒントどころかこれでは答えを発表したようなものだからさすがに気付かない方がおかしいだろうと思ったゾロだが、当のサンジはというと主導権を奪われたことに気付く間もなく激しさを増したゾロの攻めをなんとか受けようと丸い頭をピヨピヨ傾げていたが、最終的にはかっくり垂らしてイっちまった様子を見るにどうやらゾロの意図に気付く前に潰れてしまいそうな気配だ。
 この話題が終わるならそれはそれで構わないのだが、思うような反応を得られず肩透かしを食らった気分でしばらくお互い黙り込んでいると、のそりと顔を上げたサンジは今更最終ワードマユゲを受信したらしく、ん…?と疑問符を浮かべて何も知らない分からない無垢な少女がお散歩中に森で出会った野獣を前にあなたはだぁれ、とでも問いかけるかのようなつぶらな瞳でゾロを見つめていた。
 この期に及んで自分のことを言われていた事実に線が繋がっていないようなサンジにゾロは愕然としたが、少女に見つかってしまった野獣の次の一手といえば僕は悪い野獣じゃないよ君の事を食べたりしないよとアピールするかお前を食っちまうぞの2択だと相場が決まっている。だがここにいるのは少女でも野獣でもない。ついでに森もない。
 これ以上会話を続けてもろくな思考が働かないだろう、今日はもうお開きにするか、とゾロが席を立ちかけるとそこでようやくサンジが口を開いた。
「なんかそれって、おれみてーだな?」
「みてーじゃなくておめぇだよ」
 赤く頬を染め潤んだ瞳で唇をぽかんと薄く開きマヌケ面を晒す目前のサンジにもうなんだか堪らなくなって吐き捨てるようにネタばらしをしたが、女の話してんのに、何でおれなんだよ、さてはてめェ誤魔化しやがったなとでも文句が飛んでくるだろう、というゾロの期待する反応はついぞ返ってくることなく、ネタばらしを受けて尚サンジは小首をかしげゆるりと笑顔を浮かべ
「ゾロって実は、おれのこと、好き?」
 なんて訊きやがるからゾロは思わず「ああ」と一口でそれを肯定してしまった。せざるを得なかった。
 んなわけあるか、勘違いすんな、てめェなんて好きなわけあるか、常識でモノ考えろ、がこの場は正解のはずだ。間違いの回答にはペケ印をつけて早急に突き返してほしい。やり直しを要求されれば次こそは正解の回答を正々堂々提出してやる。だが酔っ払いは当然の如く採点ミスをするのだ。
 その上あろうことか、100点満点花丸マークなんかをつけてしまうのだ。

 普段あんなに生意気ですぐ足の出る口うるさいサンジが、からかうでもなく、悪態でもなく、照れくさそうに、嬉しそうに、艶やかに、愛おしそうに、強烈に胸を焼き尽くす扇情的な笑顔で返却された花丸マークは
「おれも」
 だったのでゾロはもう白旗担いでお手上げ全面降伏だった。
 上げた手でその柔らかそうに光る丸っこい金髪を撫でたら、それを払うでもなく容易く受け入れられてしまったので調子に乗って存分に堪能した。想像通りサンジの髪は細くさらりと指の間を流れ、驚くほど柔らかく、ほんのり温かかった。
「…ぞろ…」
「ん?」
「おれ…幸せなんだ、今……」
 ゾロが髪を撫でる掌から伝わる焦熱を同じく堪能するかのようだったサンジはうっとりとした顔を最後に見せると、緩やかに顔を伏せ始めたのでその言葉を発した時の表情は窺い知れなかったが、きっとへにゃへにゃ笑っている、ような、何故か切なくもあるような色で一言零し、触り心地の良い頭は静かにゾロの手を離れこてんとテーブルの上に落ちていった。
「…おい、寝んのか?」
「んー…」
「こんなとこで寝んな、体軋むぞ」
「ん……」
 恐る恐る伸ばした指で肩を叩いてみる。
 サンジは本格的に眠り姫を決め込み始めたのでゾロは安堵のため息漏らすと、落ち着いた足取りでサンジの傍へ回り体を支え、立ち上がらせようと試みるがぐだぐだサンジは体に力が入れる気など毛頭ないと語るが如くその身の全てをゾロに捧げている。
 仕方がないので姫は姫らしく抱えあげて運ぼうと体勢を変え持ち上げようとした、途端、ぎゅうとしがみつく様にサンジの両腕がゾロの首に回り、不意に開いた蒼い瞳と視線がかち合ったかと思う間もなくゾロの唇を僅かに掠めるようにして柔らかい感触をそっと残した後、丸い重みがさらりと肩に預けられ規則正しい寝息がゾロの耳を奪った。

 不用意にサンジへ近付き見事に捕縛されてしまったゾロはしばらくの間微動だにできずにいたが、当初の目的であるサンジを部屋へ運んで寝かせるミッションを思い出し深く息を吐き、吸い、吐くとようやく体が自由を取り戻した。だが束の間、今度はサンジと触れ合う部分が焼け付くような熱を帯びていることに気付く。体中が今まさに全身を焼かれている真っ最中かのように熱い。
 一刻も早くそいつを処理してしまわなければならないと煩く告げる警告音に急き立てられゾロはラウンジを飛び出し、腕の中のものを男部屋のハンモックに投げ捨て、逃げるように見張り台に上ったときには炎は収まり、警告音ももう鳴り響いてはいなかったので、再び盛大に安堵のため息を吐いた。

 その日のゾロは優秀な不寝番だったが、見掛け倒しだったことは言うまでもない。

END